愛人と厭人

宮原晃一郎

愛人と厭人書籍情報

底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
   1969(昭和44)年1月30日改版初版発行
   1979(昭和54)年4月30日改版14版発行
初出:「新潮」
   1920(大正9)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆

愛人と厭人

宮原晃一郎

有島武郎君の「惜みなく愛は奪ふ」は出版されるや否や非常な売れ行きであるさうな。しかし売れ行きといふことが直にその本の真価を示すものではないと同時に、売れ行く本は直に俗受けのものと独断して、文壇の正系(?)が之を無視するのはよくないことだ。過般有島君の芸術を通じてその生活を一般が云々(うんぬん)することについて、中央文学に一寸(ちよつと)書いた時、「三部曲」の批評が出なかつたことを指摘して置いたが、此本の「後書」を見ると、矢張りあの書に対する批評は賀川氏ものゝみが只一つ公にされたつきりであつたさうな。自分は武郎君の門下でもなければ、乾分(こぶん)でもないのだから、敢(あへ)て阿諛(おべつか)をつかつて彼是言はねばならぬ義務は持たぬが、当然問題となるべき「三部曲」の批評が一つも文学雑誌――少なくとも文芸をその要素の一つとする雑誌や新聞に、殆ど一言半句ものせられなかつた不公正に対して、自分は親友としては勿論、仮りに無関係な立場にある人としても非常に遺憾とするものである。従つて今度出た「惜みなく愛は奪ふ」は武郎君が五ヶ年の心血を注いで、その思想上の頂点を為すものと言はれてゐるだけに、決して同一の不公正が行はれはすまいと思ひながらも、又一方にはなほその懸念がないでもない。願はくは之は自分の杞憂であつて呉れゝばいゝが。